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神社やお祭りなどで、神様にお酒が供えられている光景を目にしたことがある方もいらっしゃるでしょう。「御神酒(おみき)あがらぬ神はなし」という言葉があるように、古くから日本では神様とお酒は切っても切れない関係にありました。しかし、そもそもなぜ神様に日本酒を捧げる習慣が生まれたのでしょうか。民俗学者の神崎宣武先生にお話を伺い、日本酒と信仰の歴史に迫ります。
日本酒の原点は自然への畏敬:アニミズムの思想
日本人が古来よりお酒を捧げてきた神様は、特定の神仏というよりも、自然界のあらゆるものに霊が宿ると考える「アニミズム」という思想に根差しています。山や川、岩といった自然の力に畏敬の念を抱き、困ったときにはそれらの力に助けを求めていました。例えば、雨乞いをする際に水の神である龍神にお願いするのも、このアニミズムの考え方から来ています。このように、自然界のあらゆるものに神様を見出す考え方が、お酒と結びつくようになったのです。
アニミズム
山や岩など、自然界のすべてに霊魂が宿ると考える思想のことです。
日本酒の起源と神話の世界:ヤマタノオロチを退治した「やしおりの酒」
日本における稲作の歴史は古く、3000年以上前に遡ると考えられています。この頃から米を使ったお酒も造られていた可能性があり、日本で最初に文献に登場するお酒は、古事記に記されているスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する際に用いた「やしおりの酒」です。この「やしおり」は「八塩折之酒」と書き、「八回(たくさん)搾る」という意味合いがあると考えられています。島根県出雲市にある佐香神社では、この「やしおりの酒」が伝統的に造られ、秋の例大祭で振る舞われています。その製法は、蒸米と麹を合わせて発酵させ、さらに蒸米と麹を加えて発酵させるという工程を繰り返すことで、アルコール度数15度ほどの濁酒(どぶろく)が生まれるとされています。
やしおりの酒
古事記に登場する、スサノオノミコトがヤマタノオロチ退治に用いたとされるお酒のことです。
濁酒(どぶろく)
米や麹、水を混ぜて発酵させた後、濾過せずにそのまま飲む、どろりとしたお酒のことです。
神様へ捧げる最上のごちそう:米の価値と神饌
日本のアニミズムは、時を経て「神道」へと発展し、「八百万(やおよろず)の神」という考え方が生まれました。その中で、なぜお酒が神様に捧げられるようになったのでしょうか。かつての日本では、米は非常に価値の高いものでした。江戸時代の「石高制」という制度を考えても、米を日常的に食べられるのは一部の人々だけで、多くの人々にとっては祭りなどの特別な機会にしか口にできないものでした。お酒は、そんな貴重な米に特別な手間をかけて造られるため、神様へ捧げる最上のごちそうとされていたのです。神様に捧げられる食事を「神饌(しんせん)」と呼びますが、その中でも酒、餅、白飯は最も重要なものとされていました。儀式の後、下げられた神饌を皆でいただく「直会(なおらい)」は、神と人間が共に食事をすることで、共同体の結束を強めるための大切な慣習でした。
石高制
米の生産量(石高)によって、その土地の収入や格式を決める江戸時代の制度のことです。
神饌(しんせん)
神様に捧げられる食事のことです。
直会(なおらい)
神事の後、神様にお供えした食べ物や飲み物を、神様と人間が共にいただく儀式のことです。
清酒の誕生と江戸の酒文化:織田信長と正暦寺の功績
現代の日本酒に近い「清酒」が誕生したのは、織田信長の時代(室町時代)に、奈良の正暦寺というお寺で行われた「並行複発酵」という製法が基盤となっています。それまでは、蒸米と麹を練り合わせた「醴(あまざけ)」や濁酒が主流でしたが、この頃に「酛(もと)」という仕組みが生まれ、より洗練された酒造りが可能になりました。この「並行複発酵」とは、甘くする麹の働きと、辛くする酛の働きが同時に進むことでアルコールが生まれるという、日本酒ならではの製法です。この頃、「醴」や濁酒は「白酒(しろき)」、清酒は透明できれいな水が底深くでは黒く見えることから「黒酒(くろき)」と呼ばれていました。江戸時代には、灘五郷などで清酒が量産できるようになり、江戸では年間100万樽もの酒が消費されるほどの酒文化が花開きました。しかし、当時の飲酒は、城下町の武士や商人など、一部の人々に限られており、多くの人々にとっては特別な機会に飲むものでした。
並行複発酵
日本酒造り特有の製法で、糖化(米を甘くする)とアルコール発酵(アルコールを作る)が同時に進む仕組みのことです。
醴(あまざけ)
ここでは、アルコールを含んだ初期段階のどぶろくのようなものを指します。
明治維新と酒文化の変化:国家神道と飲酒機会の拡大
明治時代に入ると、日本の社会は大きく変化します。鉄道網の発達により、酒樽の運搬が容易になり、酒蔵が全国に広がるきっかけとなりました。また、この時代に成立した「国家神道」により、それまで各地で独自に発展してきた神社のあり方が統合され、神様の祀り方や格式が変わることもありました。こうした変化の中で、飲酒の機会も徐々に広がっていきました。徴兵令が導入され、兵士たちの結束を図る手段としてお酒が用いられたり、軍隊で酒の味を覚えた兵士たちが帰郷した後に、各地に酒蔵が生まれるきっかけとなったりしました。こうした背景から、明治時代が現代のような「酒飲み」文化を形成したとも言えるかもしれません。
国家神道
国力の強化のために、神社神道と皇室神道を結びつけ、国民に天皇崇拝と神社信仰を義務付けた制度のことです。
世界共通の「清め」の機能:酒と神聖な儀式
お酒が神聖な儀式で用いられるのは、日本に限ったことではありません。お酒が持つ「清め」の機能は、世界共通の考え方として見られます。例えば、日本では子供が生まれた際に産湯に酒と塩を入れる風習があり、キリスト教社会では子供が1歳になった際に赤ワインに足をつける儀礼があります。また、山岳信仰では、山に入る際に酒で道を清めるという考え方があり、これは東南アジアの山岳地帯でも共通して見られる現象です。このように、お酒を浄化や神聖なものと結びつける考え方は、世界各地で独自に生まれながらも、不思議な共通点を持っているのです。
神崎先生のお話を通して、日本酒が単なる飲み物ではなく、古来より日本の信仰や文化と深く結びついてきたことがよく分かりました。神社に供えられるお酒や、各地のお祭りで振る舞われるお酒には、それぞれの土地の歴史や人々の願いが込められています。普段とは少し違う視点で日本酒に触れてみると、新たな発見があるかもしれません。
この記事は、生成AIにより執筆されています。